学生の頃、天井の高い図書館でアルバイトをしていたことがあります
世界共通の本の分類法があり、本の整理をしながら覚えたおかげで、どこの図書館に行っても、自力で本を探すのに役立っています
それまであまり本を読む方ではなかったのですが、職員さんから「この本、いいよ」とオススメしてもらってから、読むようになりました
お昼休憩以外に5分程度の「お茶の時間」があり、その時間を大切にされていて、飲み物が美味しかったので楽しみでした
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たまに行く大阪市堂島、英国紅茶のお店
案内していただいた席が『The Beatles』
いつもの紅茶が、より一層
美味しい(^^)
紳士に乾杯
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女性館長と二人でお茶の時間。いきなり館長から「私、あんたを育てるわ」と言われてからというもの…
映画に行ったり、飲みに連れてもらったり、買い物をして、ご自宅で一緒に料理を作って食べたりするようになりました
ほろ酔いの館長から「あんたは愛想もないし、おべんちゃらも言わへんけど、私をヨイショもせえへん。ええねん別に。私と似てるところがあるから分かる」と言われたことも
(ん~なんか微妙…)と心の中で思いつつ
とにかく言いたいことをハッキリ、竹を割ったような話し方だったので、私は正直に話してくださるところが気持ちよかったです
特に躾の指導をされるわけでもなく、食べて、飲んで、傍で話を聞いているだけでしたが
その時間の貴重さが今になって分かる気がします
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今回は『Queen』席
店長さんが『The Beatles』と『Queen』のファンだそうです
映画『ボヘミアン・ラプソディ』でも、お茶をする場面が多かったような
店内で流れている音楽はクラシック
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ご自宅でのある日
「漢詩はええで。訳し方とか学校で教わった通りでなくていいねん。ピンときた漢詩を自分に都合のいいように訳すねん
その時の自分のためのものやし、自分にだけ分かればいいことやから
また数年後に読み返した時には解釈の仕方や感じ方も変わってたりもするけど、ええねん
軌跡を残したまま上書きすれば
それで自分が成長してるバロメーターになったりするねん
日記とは違うけど、別の角度から自分を客観的にみるのも面白いで」
と話しながら
古いノートを私の目の前に置かれました
ノートは横にして縦書き、見開きの上のページには書き込めるように行数を空けて漢詩が書かれ
下のページには、ご自身なりの解釈や訳が沢山書き込まれてあって、オリジナルのもの
異なる太さ、色の文字の書き込みの筆跡を見ると
おそらく、何度も繰り返し読んでは、その時に感じたことを書き加えられたのだろうなと思いました
私がノートをめくりながら、ボソッと「宝物ですね」と言うと
館長は目をウルっとさせて「漢詩を心の支えにして生きてきてん」とおっしゃりました
話題が変わり
「あんた、河原町とか烏丸で待ち合わせすることあるやろ?時間作って早く行き
私、お金ない若い頃にしててんけど、百貨店に行くねん。華やかで憧れやったわ
考えようによっては博物館なんやで。ええもん揃えて置いてくれてるやろ?
自分の目で見て、触れられるものは手で直接さわったり持ったりするだけでええねん
その時は、よう分からんでも気にせんでええわ
あと、高価なものが自分にとって良いもの、合うものとは限らへんから、値段なんて見いひん方がええねん
ブランド名も分からん方がええねんけどな
歳月がたったら自分の好みが変わってることもあるけど、それは自分自身が変わってるねん
同じもの見ても感じ方が変わってたりするのは
いつの間にか感性が豊かになって影響を受けてるってことやと思うねん
周りに言われて、自分自身が変わったと気付くことが多い気するけど
周りより先に変化を自覚できることもあるし、何かしらのバロメーターになるから面白いで
今の私があるのは百貨店のおかげ(笑)感謝の気持ちで利用させてもらってる」
と言われ、買えないのに見るだけなのもな…と思いながら(これなら出来る)遠慮がちに、たまに言われた通りにしていました
同じ物を見ても、感じとり方は人それぞれ
私がブランドにあまりこだわりがないのは、この頃の経験からきているのかもしれません