音楽を聴いていると、ごくたまに自分の奥深く、鍵穴のある宝箱が開いて、中から煙のように
フワ~ッと浮上してくるように思い出されることがあります。私が小学6年の時、合唱コンクールで やむをえずピアノ伴奏をする流れになり、ひたすら練習。本番で自分の伴奏は5クラス中、下手と思いましたが、途中で止まらずに無事終え、ホッ
最近、かつてのピアノ伴奏曲『モルダウの流れ』を少しひいてみたところ、自然に指が動く感覚でひけたので、次にエレクトーンで思い入れのあるThe Beatlesの曲をひこうとしたところ、指が動かず、ボー然
エレクトーンは小学1年から習い始め、小さな予選大会でしたが金賞のみ近畿大会に出場できたので、シンプルに1番しか目指していませんでした
『猛練習した曲は忘れないはず』と思い込んでいましたが
当時、いつの間にかエレクトーンの演奏を楽しむ気持ちの余裕がなくなってしまっていたのかもしれません
ピアノは習っていませんでしたが、どうも…学校行事で皆と一緒に取り組めたピアノ伴奏も意義深かったのかなと
自らの指の動きがそれを示しているように感じます
今頃ですが、時間がかかっても自分なりに気がつけ、モヤーッとしていた霧がスーッと晴れたよう
そもそも…修学旅行中の枕投げ翌日から喉の痛みと腫れ(ハメ外し過ぎ)→病院→安静(一時期筆談)→クラス対抗合唱コンクール歌えない →じゃあピアノ伴奏してね → (。-_-。)仕方なく練習→合同練習なぜかチョット楽しい→本番
任務完了→その時の簡単な流れ
振り返ると、ピアノ伴奏をして初めて、それまでとは違う音楽の楽しさを知ることができた気がします
エレクトーンは『ひとりオーケストラ』という風に捉えています。。。
ボタン一つで様々な楽器の音やリズムの変更が可能、とても便利
自分の思い通り、好きなようにひける
『エレクトーンを操っている』と思っていましたが、逆でした
ミスすると、機械は待ってくれません(泣)
記憶させていた通り、お仕事を果たします(笑)
当たり前ですが、ミスした私に合わせてくれません
演奏者のトラブルの対応はかなり厳しいです
ピアノ伴奏によって、生演奏で『合わせる・奏でる』という、生きた音の素晴らしさを知ることができました
ご参考に。バイオリニスト五嶋みどりさん「タングルウッドの奇跡」
自身の感情に流されて表面的に思っていたことと、実は、その裏側の分かりにくいところに『気づき』はあるのかもしれません
そのように信じていれば今辛いと感じていることでも『意味のないことはない』のかなと
自身の成長のため、学びのためにあると受け入れられるようになると
その時は厳しくても、すぐに変化がなくても、即、問題解決することが全てではなく
対象から逃げない姿勢も成長にカウントされ
効果的に何かしら繋がっていくものと思えます
いつの日か自分で『気づき』に気がつくことができれば
受け入れ難かったことに対しても『感謝の気持ち』が芽生えてくるのかもしれません
その時も、それまでも、今も、それはそれで、あれもこれも、良し悪しではなく、
ただ…『ありのまま』を自分が受け入れられるように(周りに流されることではなく、毅然と)なっていけたら…
All right になれる気がします
(^^)