・お義父さんの終活

今年に入り、80歳過ぎの義父は糖尿病をかかえつつ、元々弱っていた心臓も

もう限界だったと思われます。何度も入退院を繰り返し、2月には担当医師から「よくこんな状態で今まで」と驚かれ「冠状動脈3本の手術をした方がいい」とすすめられていましたが、本人が断りました

 

そして「もしも自分に何かあった時、積極的な治療は望まない」ということを親族と同じように担当医師にも伝えていました。肺や脚に水がたまったり、顔が浮腫んだりしつつ、退院すると旅行に1人で行っていました


9月下旬、大好物の牡蠣を食べに広島県と四国へ1人旅。帰りから不調になり京都駅からタクシーで帰宅

 

翌日、医師から入院をすすめられたそうですが本人の意志で帰宅。夜、横になって寝ることが出来ず、椅子に座ったまま寝ていたそうです

 

今思えば、義父は自身の死期を悟り、自宅の畳の上で眠ったまま亡くなりたかったのではないかなと

 

翌日、また受診。医師と相談して、血流改善のカテーテル手術をすることになりましたが心臓の筋肉がもたず・・・血圧が急激に下がり人工心肺に

 

旅立つ数時間前、ICUでお義父さんに会えました。ICUに入った時、耳に入ってきたのは、小さい音量のクラシック音楽

 

我が子の出産時にも流れていたのを思い出しました

 

実際に生死の境目の状況になると親族側の頭で分かっていたはずの理想と現実は違うもので、受け入れたくないことが現実に起こってしまうと、(私は黙っていましたが)大声で戻ってくるよう声かけをしたり、反応があると更に耳元に近寄って大声になったり、身体を揺すったり、

 

気持ちは変化するもので自然なことなのかもしれません

 

「言っていたことと違う」ではなく、そういう事も含めて全てを受け入れられることが大切なのかもしれないと思いました

 

 

葬儀後、数日して病院へ行った時に担当医師から「お母さんは大丈夫ですか?ご本人の希望通りに出来なくてすみませんでした」と主人(息子)に謝罪があったそうです

 

延命治療をしたことに対する謝罪と思われるのですが、(いやいや、とんでもない)亡くなる前、全員、義父の身体が温かい内に会えて、手を握る事ができたのは医師のおかげなので(遺族側のエゴかもしれません)心から感謝しています

 

担当医師の方から駆け寄ってこられ、謝罪をされるとは恐縮です

 

義父との間に信頼関係があったのだろうなと感じました

 

義父は旅立つギリギリまで自分の好きなことをし、頭もしっかりしていたので幸せだったと思います

 

お世話になりありがとうございました

 

『いきたひ』

長谷川ひろ子監督

ドキュメンタリー映画

9月下旬、奈良在住のボランティア仲間から『いきたひ』の案内チラシをいただき、その1週間後、義父が亡くなりました

 

まだドキュメンタリーを観ていません

 

住まいが遠方だったり、急だったり、付き添いたくても、それができない方も大勢いらっしゃると思います

 

また事故や天災等、亡くなり方も様々だと思います

 

ただ…お互いに笑顔で話せる時に『死』について考え、話し合うことは『死』を受けいれられる心の準備や、何となくでも改めて考えられる心のスペースを空けておく、というのでも有効だと思います

 

『前向きな旅立ち』の話を普段、義父の方からユーモアを交えながらしてくれていたのも今では思い出です

 

『生き抜く』『生き抜いた』というのは義父を通してですが、このようなことなのかなと思いました

 

私達への旅行のお土産

周りも「本人の好きなように」「本人の意志に任せる」という感じで、特に何かを制限するような口出し等しませんでした

 

義父は好きな物を食べ、お酒も自分で量を加減しながら飲んでいました

 

でも、決して自己中心でもなく、医師に任せきり、頼りきりという訳でもなく、話をよく聞いて、自分の病との付き合い方、向き合い方、亡くなり方まで自分なりの考えをキチンと伝えていたようでした

 

数年前、周りには特に「タバコ止める」とも「タバコ止めた」とも言わず、いつのまにかタバコは止めていました


 旅立った後、義父のパソコンに「鬼籍に入ったら」とありました。(内容一部抜粋)・家族葬が望ましい・葬儀屋さんの会員になっている(会員番号)・葬儀代のサービスチケット・遺影の写真・戒名は特に要らない・連絡する人・年金、銀行口座番号等・担当医師の名前・かかりつけの歯科名(予約してる場合、キャンセルして欲しい)等。お義父さんらしい鬼籍でした

 

元気な内から「終活」もしてくれていたので助かりました

 


 ~今年までの新年の挨拶~
毎年、義父の新年の挨拶が

 

「もう今年は僕、あかんと思う」

「来年はこの席に僕は居ないと思う」

「そろそろお迎えやと思うわ。自分でも分かるで~ホンマに」と同じような事ばかり言っては「毎年、同じ事言うてるわ笑」と周りからツッコまれるお正月でした

 

ただ今年に入ってからは会うたびに言っていました

 

それまでも何度か運ばれて入院しています

 

泣きながら病室へ行くと、義父は私の顔を見て、ひと言

 

「まだ死なへんでえ~」と浮腫んだ顔で笑ってました


この世からの旅立ち(亡くなった時)が『寿命』だと思いつつ、ウルウルもします

 

ただ10年以上、何度も繰り返しお決まりの新年の挨拶を聞いていたからか、現実となった今、

 

その感情に浸る時間が想像以上に短かくで済んでいるような(気持ちを引きずらない)

 

身内も通常通りの生活に戻るのが(気持ちの切り替え)早い気がするのです

 

義父が遺された者が悲しまないよう、あえて言っていたのかもしれないと思えるくらい、尊敬できる人でもありました

 

お土産、味わって

食べました。ジーン…

式では和尚さんから、三途の川、初七日、七つの関門、四十九日、御焼香の意味等、教えてくださいました

 

読経も一部は現代語訳風に速度を落としてくださったので、なんとなく意味が分かるところもあり

 

親戚からも「宗派関係なく、仏教の共通した、ためになるお話を短時間で上手くまとめて聞かせてもらえて、ありがたかったわ」と好評でした

 

「本籍はあまり動かさない方がいい」と聞いたことありましたが、その理由が分かりました

 

取り寄せも可能ですが書類をそろえるの大変です。思いがけず、急に平日、日帰りで伊勢に行くことになりました

 

 

あくまでも距離

 

混雑時を想定してと思われるのですが

 

一番大事な距離『250m』の部分が小さ過ぎるような

 

先程の看板との違いは数字『60』のみ

 

やはり小さ過ぎる気がします笑

 ホッ…